■8.考証■
ゲームや物語の世界は、フィクションであることが多いですね。でもいくらフィクションとはいえ、ある程度のリアリティがないと、作り物だというのがバレバレになってしまいます。
私は調べ物がキライで、大抵の作品はイメージだけで強引に完成させてきました。詳しい人が見たら、失笑ものの作かと思います。
まあ、知らない人が読んでそれっぽく感じられればいいやと思っていたんですが。
制作がつまづきっぱなしの「優一⇔優子」なんですが、
まあ舞台はありがちな現代学園物とはいえ、トランスジェンダーなんて現実ではあんまり一般的ではないです。マスコミや小説なんかではよく聞きますけどね。でも、それが身近な問題だという人は少ないんじゃないでしょうか。私自身、性同一障害とか同性愛とかそういう症状や趣味はありませんし。
だから、もし自分がその気もないのに無理矢理性転換させられたら、こんなふうに感じるんじゃないかなと考えながらキーを叩いていたわけなんですが。
性転換手術とか、ほとんど全然分からないです。そういう人達がどんな生活をしているのかとか。法的な扱いはどうなのかとか。
まあいいや、フィクションだし適当に書いちゃえーと無責任に書いてたんですが。
ところが。
私の浅学な知識では、性転換手術をしても戸籍までは変えられないとうろ覚えだったのが、
今じゃ変えられるみたいですね。
ちょっと、いやかなり、ビックリしました。
だって、戸籍が変わるって、法的に男が女になったりその逆になったりするわけじゃないですか。同性愛の最大の問題であった結婚も出来るってことじゃないですかね?
世の中、変わりましたね。
「優一⇔優子」体験版で「日本じゃ性転換者は法的にも社会的にも不自由があるけれど、外国ならかなり自由」みたいなことを書いてしまっているじゃないですか。ウソ書いちゃったよ。書き直すの?ヤダー。
ただでさえ低かった制作意欲が、さらに下がってしまいました。今まで通り「フィクションだから」と開き直ってもいいのですが、なんとなく作品の質が低下したような気がします。
まあ、こんなシリアスなテーマを選んでしまったこと自体が、もうアレなんですが。実際にトランスジェンダーで悩んでいる人が見たら、どう思うんだろ……そう考えると、筆が止まります。
でも、そんなことを言い出したら、どんな創作も出来なくなります。
病気と戦う話を書けば「その病気がどんなものだか知らないくせに」
戦争の話を書けば「戦争経験なんてないくせに」
異性を主人公にしたら「おまえ違うだろ」
切りがありません。そもそも人間には、自分以外のことなんて分からないはずです。
リアリティを追求するならば、創作は自分史しか許されなくなってしまいます。でも人間には表現の自由があるはずですよね。自分史しか発表してはいけない世界なんて、おかしいですよね。
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